中田瑞穂(俳号:みづほ1893~1975)は、戦後、會津八一と親交を深め、主治医的な存在だった人物で、令和5(2023)年で生誕130年を迎えました。
瑞穂は、新潟大学で日本の脳神経外科の礎を築いた名医として知られていますが、俳人としても評価がされています。高濱虚子の門下として、新潟の俳句仲間に請われて昭和4(1929)年から没するまで真萩会を主宰し、俳誌『まはぎ』を創刊。その句は客観写生を標榜し、句友で医師の高野素十と共に研鑽を重ねました。また、瑞穂は身近な対象物をそのまま忠実に描く水彩の写生画を趣味としていました。この写生画はあくまでも自身の楽しみでしたが、対象をそのまま描こうとする姿勢を八一は称賛し、数多くの賛を入れています。
もともと瑞穂は「僕の趣味第一等は俳句ではなく書だよ」と知人に漏らしていたほど、書が得意であると自認していました。しかし、八一の書に心酔するあまり、次第に揮毫することは少なくなったといいます。ただし、昭和50(1975)年に当館開館時に建立された石碑「財団法人會津八一記念館」の文字は、瑞穂の書によるものです。
本展では当館が所蔵する會津八一の書画作品、中田瑞穂との合作を中心に紹介いたします。さらに、17回を迎えた「會津八一の歌を映す」秋艸道人賞写真コンテストの入賞入選作品展も同時開催いたします。