豊かな色彩で幅広い表現を展開した画家・土田文雄(1901-1973)。今年で没後50年となるのを記念してその活動を紹介します。
山形県米沢市に生まれた土田は、旧制中学を卒業後に上京し、川端画学校で藤島武二に学びます。1920(大正9)年、日本美術院洋画部で初入選するも、院展洋画部が解散したため、新たに創設された春陽会へと移りました。
梅原龍三郎に傾倒し、梅原の誘いで国画会創立とともに出品。以後国展の中心作家として活躍しました。1954(昭和29)年、武蔵野美術大学の教授に就任。定年退職後の1972(昭和47)年、渡仏して画業に専念しようとした矢先に病を得て帰国し、翌年惜しまれながら亡くなりました。
梅原の影響を感じさせる初期の人物像や室内風景に加え、抽象的な表現や幾何学的な構成に発展させた風景画など、土田の作品は多様な変遷を辿ります。その背景には抽象様式の台頭や前衛美術運動の興隆など、戦後美術界の急速な変化があったことは想像に難くありません。
当館の所蔵品から土田の作品約70点と、同じく国画会や女流画会で活躍した夫人、土田次枝の作品をご紹介します。多様な表現とともに土田が追い求めた美の姿を感じていただければ幸いです。