野長瀬晩花(本名・弘男)は、1889(明治22)年に現在の田辺市中辺路町に生まれた画家です。
13歳から大阪に出て日本画を学び、その後京都に移って、1909(明治42)年に京都市立絵画専門学校の第一期生となります。この頃から「晩花」の号を用いるようになり、学校にはほとんど通わず、反官展の姿勢を示して独創的な作品を発表しました。やがて洋画の手法を取り入れた表現が注目され、大正期の京都画壇で異彩を放ちます。その後は次第に画壇から離れていきましたが、最後まで絵筆をとり続け、晩年は出身地の公民館に作品を寄進し、母校の校歌を作詞するなど、郷里への思いを強くしていました。熊野古道なかへち美術館(田辺市立美術館分館)は、開館当初から晩花の作品の収集や展覧会の開催を通じて顕彰を重ねてきました。今年開館から25周年を迎えるにあたって、改めてその芸術を振り返る機会をもちたいと思います。
また、晩花が創立に参画し、大正期の日本画に新風を吹き込んだ美術団体「国画創作協会」に関係した画家たちの作品も同時に展観して、近代における日本画表現の革新の動向についても紹介します。