新潟県西蒲原郡吉田村(現在の燕市)に生まれた横山操(1920~1973)は、画家を志して上京、20歳の時に川端龍子の主宰する青龍展に初入選しました。復員後同展で受賞を重ね、1962年の青龍社脱退後は無所属で活躍し、多くの意欲作・話題作を発表、戦後日本画壇を代表する一人となりました。多摩美術大学教授として後進の指導にもあたりましたが、脳卒中で倒れて半身不随となり、1973年に53歳の若さで亡くなりました。当館では、青龍展で最高の青龍賞を受賞した《炎々桜島》(1956年、幅454cm)や青龍社脱退のきっかけとなった《十勝岳》(1962年、幅639cm)を初め、横山操の大規模作品を多数所蔵しています。画家の没後50年を記念する本展では、当館所蔵作品全68点(『中央公論』表紙絵36点を含む)を一堂に紹介し、現代に相応しい日本画表現を探求し続けた横山操の創作の軌跡を振り返ります。