栄光のパリから祖国チェコへの献身
19世紀末パリ、ベル・エポック(美しき時代)を彩り、アール・ヌーヴォーを牽引したアルフォンス・ミュシャは、民族意識の色濃いモラヴィア地方の村(現チェコ共和国東部)で生まれました。1895年34歳のとき、パリで挿絵画家として細々と生計を立てていたミュシャのもとに、当時の名女優サラ・ベルナールの舞台『ジスモンダ』の宣伝用ポスター(画像No.7)の依頼が舞い込みます。この仕事で大成功を収めたミュシャのもとには、ポスターはもとより、装飾パネル※1、カレンダー、商品パッケージなどさまざまなデザインの依頼が殺到しました。優美な女性像と草花の有機的な曲線を、抜群のセンスで組み合わせるミュシャのデザインは、いつしか「ミュシャ・スタイル」としてひとつのデザインのジャンルを確立していきました。
本展では、そうした華やかなパリ時代のポスター画、装飾パネルをはじめ、画学生の手引きとなるよう制作された『装飾資料集』などを中心に、祖国発展のため手がけた切手や紙幣のデザイン、《スラヴ叙事詩》のパネルを通して、後半生を捧げた祖国チェコへの献身にも焦点を当てます。
※1 リトグラフで大量生産し安価(10フランほど)で販売することで、誰でも気軽に購入し芸術に親しむことができた。ミュシャは装飾パネルを多く手がけたことでさらに名を馳せていった。