山水と絵画のかさなりとつらなり
私は作品をつくるとき、ほぼ、下絵はつくりません。キャンバスの上に直接、線の集積でイメージを探ります。描くときには漠然とした、あるいは明確なイメージが五感を伴って存在しますが、それらの感覚は描くことで変化します。描いた線やかたちが違うなと感じると乳白色の絵の具でかたちを覆って隠して描き直します。何度も描き重ねながら構図が大きく変わってしまうこともあります。そして、私の山水はキャンバスの空間と時間の中で生まれます。
ゆえに、一枚の絵画の中には、無数のドローイングが織り込まれています。
近年、コロナ感染症流行以前には、蘆山、黄山などに旅して取材しましたが、感染症防止の移動制限の状況下では、国内の自然に接することが多くなってきました。iPhoneに「滝」と声をかけ、表示された滝に行き、そこでまた次の「滝」を検索することをやってみました。無名の滝がヒットすることがあれば、有名な滝がでてきたりと、主観を排する楽しさがありました。
今回のタイトルの「かさなり」は、絵の具の層の前後の重なりと画面の上に遠景を置く上下の重なりの二つの意味が込められています。
また、「つらなり」は山の稜線のような横への連続性が心地よいリズム感を生み出し、場所の移動をも一本の線のように表すことで、世界の分断を接続するメタファーもあります。
本来、相容れない価値観から一つの風景、山水が成立する、見る人の想像力に助けられて山水に見えるようなあやういバランスの作品を展示します。