江戸時代は政情の安定と街道の整備により、民衆にも旅ブームが起こります。五街道のなかでも江戸と京を結ぶ東海道は交通の大動脈。歌川広重(1797-1858)はこの街道をつなぐ五十三の宿場町を描いた揃物の浮世絵で一躍風景画の名手となります。有名な保栄堂版をはじめとして多くの「東海道五十三次」作品を手掛けたなかに、江戸時代の趣味的文芸である狂歌※を添えた「狂歌入東海道」があります。
幕末から明治にかけて新聞に風刺漫画が現れるようになり、大正時代には漫画記者が多数誕生します。彼らは東京漫画会を結成し、その存在を世間に広める活動のひとつとして、1921(大正10)年5月1日、岡本一平(1886-1948)ら会の一行18人は、東京日本橋を自動車に乗って出発。東京から京都まで、旗を掲げ、笠姿で各宿場をめぐるスケッチ旅行に出かけます。このスケッチをもとにつくられたのが、水彩や水墨による肉筆55図からなる《東海道五十三次漫画絵巻》でした。
今回はこれに加えて特別出品として、「月刊モーニング・ツー」(講談社)掲載の山口晃によるマンガ『趣都』より、東海道の出発点である「日本橋」の原稿もご紹介します。
江戸、大正、現代の浮世絵と漫画(マンガ)に描かれたユーモアあふれる三つの「名所」イメージをお楽しみください。
※狂歌
社会風刺や機知、皮肉、滑稽を含み、五・七・五・七・七の音で構成した短歌。
江戸時代に盛んに詠まれ、知識人から町人まで広く親しまれた。