展覧会タイトルでもある「Fuchs du hast die Gans gestohlen」と題された作品は、ダルボーフェンに特徴的な制作手法である反復と変換というアイデアで構成されている。作品の主題となっているのはドイツの有名な民謡「Fuchs, Du Hast Die Gans Gestohlen」である。この民謡は日本においても「子狐」と題され文部省唱歌として勝承夫(1902-1981)の作詞によって広くしられている。ドイツの原曲の歌詞が、ガチョウを盗もうとする狐に対する飼い主の脅迫的警告を内容とするのに対し、勝翻訳のそれは穏当かつ牧歌的な情景を歌い、人間と野生の対立構図への言及を欠いている。翻ってダルボーフェンの作品は、近年しられるようになったヤーコプ・フォン・ユクスキュルの「環世界」、すなわちすべての生物にとって世界は客観的ではなく、それぞれの生物がそれぞれの主体に基づいて構築する独自の世界として存在しているという世界観を先取りするかのような様相を呈している。本作品は、人間世界の幻想としての「客観の存在」に対し、時間という切り口によって懐疑を呈示し、人間の認識する現象が、視座となる人間の感情や記憶、思考の融合としての主観に他ならないという真実を、一見「客観的に」みえる数式として可視化することを試みているのである。