酒井家は徳川四天王筆頭の酒井忠次を祖とし、3代忠勝が元和8年(1622)に庄内へ入部しました。中興の祖と称される名君・9代忠徳は、乱れた風紀を憂い藩校致道館を設立します。その教育は、「人は生まれつき得手・不得手があるものだから、一人ひとりの優れている面を伸ばすようにしなさい」という方針でした…。
明治時代、版籍奉還に伴い諸大名は領地を離れるなか、酒井氏は庄内にとどまりました。華族制度で伯爵となりますが、「文會堂」と称する学問所を設け、藩校致道館の「天性(生まれつき)の能力と自学・自修を重んじた教育」を尊ぶ“致道の心”を後世に繋ぎました。
戦後間もない昭和25年(1950)、16代忠良が地方文化の向上発展に資するため、土地建物および伝来の文化財などを寄附したことが致道博物館創立の由来です。
本展では、当館所蔵の致道館祭器(山形県指定文化財)のほか、旧藩主酒井氏に伝来した美術資料、並びに歴代当主の書画など、美術工芸品を中心に約30点を紹介します。