平成15年(2003)4月21日、徳山市、新南陽市、熊毛街、鹿野町が合併し、新たに周南市が誕生しました。徳山市美術博物館は周南市美術博物館と名前を改め、新たなスタートを切ることになりました。
「周南美術のあけぼの展」は周南地域の美術を振り返るもので、特に昭和元年(1926)に結成された徳山洋画協会から、昭和21年(1946)に結成された防長美術家連盟が活動した期間にスポットを当てて紹介するものです。
昭和4年(1929)の岸田劉生の来徳は、この地域の美術界に少なからぬ影響を与えました。徳山洋画協会の同人であった河上大二、前田麦二は、滞在中の岸田劉生とも親しく交わり、特に前田麦二は、劉生と一緒に写生に出かけ教えを受けました。
第二次世界大戦中では、徳山中学から東京美術学校(現東京芸術大学)へ進んだ松岡俊彦、原田新、久保克彦の存在を忘れることはできません。彼らは美術を志しながらも戦地で亡くなりましたが、その画業はこれからも語り続いていかなくてはならないでしょう。
昭和21年(1946)1月、防長美術家連盟が結成されました。会員には、河上大二、前田麦二、天野芳彦、尾崎正章、中村脩、古木守、有光健治、尾崎雄弌、吉崎正己、西村吉朗、石田武彦、寄本麟三、加藤眞弓、富屋恂一らがおり、この時期光市に住んでいた松田正平も参加していました。
防長美術家連盟は、展覧会開催以外にも天野芳彦、尾崎正章、中村脩らが各地で行われた美術展の審査員をつとめたり、絵画講習会を開催するなど、さまざまな活動を通じて地域美術の振興に力を注ぎました。その活動は、それい以降の周南の美術、ひいては周南の文化に大きな影響を与え、現在まで引継がれています。
徳山洋画協会の結成と岸田劉生の来徳を起点に始まった昭和という時代は、周南地域の美術史の中で、まさに「あけぼの」の時代であったといえるでしょう。