1907年、文展が開設されると、政府が主催した展覧会(官展)は日本美術界に最も大きな影響力を及ぼすようになりました。
大分県出身の洋画家では、片多徳郎(豊後高田市出身 1889~1934)が1910年に文展に初入選し、幾度も受賞を重ね、1922年には第4回帝展で審査委員となり、その後も展覧会委員などを歴任し、県出身の洋画家で初めて官展を代表する画家となりました。
こうした片多のもとには県出身の洋画家が集まるようになり、その筆頭格に権藤種男(大分市出身1891~1954)がいました。権藤は、1917年文展に初入選し、1920、30年の帝展で特選となり、無鑑査となりました。戦後は中央画壇での活動を止め、1946年に再結成された大分県美術協会の再建・運営に尽力しました。
今回は、片多、権藤が日本の風土にあった洋画を模索した1920~30年代の作品を中心に紹介します。
また、権藤とともに大分県美術協会の再建・運営に尽力した武藤完一などの作品を併せて紹介します。