旧態依然とした日本の美術界に揺さぶりをかけるため、中村正義が構想し、文字通り自らの身命を賭して実現させた「東京展」―その目指すところは、全く新しい美術の共同体・組織の在り方でした。
1946年、日展に初入選し、二度にわたる特選を経て審査員に推挙された中村正義(1924-1977)は、閉塞的な日本画壇に疑問を持ち、将来を嘱望されながらも日展を脱退。以後それまでの画風を一転させ、日本画の伝統美に抗う激しく挑戦的な作風を展開しました。
正義よりも一回り年長の岡本太郎(1911-1996)は、1941年に10年余り滞在したパリから帰国して二科展を活動拠点とします。1948年には評論家の花田清輝らと総合芸術運動を目論む「夜の会」を結成し、日本の芸術界全体の変革を目指しました。ここから太郎はアヴァンギャルドの旗手として美術の領域すら逸脱する多面的な活動を展開します。
若い画家たちとともに二科会内部からの変革も模索していた太郎が会を退いたのは1961年―奇しくも正義が日展を脱退した年でした。以後、太郎は縄文土器や民俗学への探求をはじめ、モニュメンタルな壁画や立体造形など、ジャンルを越えた活動を行い、正義もまた多様な素材を用いた制作を行うほか、映画や舞台、写楽研究など、さまざまな分野に関わりました。そうした多面性と反逆精神こそが両者に共通する要素であり、東京展の精神へと結実していったといえるでしょう。正義を核として集った多様なジャンルの作家たちからの声掛けに、大阪万博などですでに知名度の高かった太郎が快く応じ、その祝祭的空間により一層強烈なエネルギーを注ぎました。
本展は太郎と正義の代表作を展観するとともに、二人の接点である東京展の再現を通し、彼らが求め、構想した「東京展」とは、何であったのか―、さまざまな角度からのアプローチを通して今一度検証してみたいと考えています。