当館創設者柳宗悦 (むねよし)(1889-1961)は「茶」とその「美」について、生涯に渡り強い関心を寄せました。自らは茶の道に入ることはありませんでしたが、在野の立場から茶に対する独自の仕事を展開していったのです。
柳が高く評価したのは、初期の茶人達の自由な眼でした。茶器ならざるものから茶器を選んだ鋭い「直観」を尊び、眼の先駆者としても敬ったのです。見たての実例に雑器として生まれた井戸茶碗などをあげ、それらは茶祖の創作だと讃えました。茶祖の業蹟は、自身が推進する民藝運動の指針となり、提唱する民藝美諭にも多くの示唆を与えたのです。
また柳は茶の礼法についても、用い方が型にまで高まったものだといい、茶における型の美を尊重しました。個人を超えた型を所作の模様化と評し、ここでも民藝との接点を確かめます。
そして茶と禅との濃い結縁を重視した柳。茶は禅修業の一様式であるとして、茶事と禅事との同一性を説き、重ねて井戸を始めとする美しい茶器を禅意の具体的な姿であると述べ、その因縁に喚起を促したのです。
さらに暮らしと茶の交わりにも眼差しを注ぎました。柳は茶事を茶室だけにとどめず、日常に活かすことを奨めます。日々用いる器を茶に適ったもので整え、行住坐臥 (ぎょうじゅうざが) が茶と結ばれるよう願ったのです。
晩年となった1955年12月、柳は日本民藝館で第一回民藝館茶会を試みました。長年にわたって蒐集した館蔵品から、既成の「茶」に囚われずに選んだ茶器と自身考案の道具を用い、半座礼という椅子式でおこないました。柳は茶会について「道具とか室飾りの方は、凡て私が背負った。(中略)私が一番気を配ったのは室の飾りつけであるが、どれだけ気附いてくれた人があるのか」(『民藝』39号)と書いているとおり、使用した茶器と部屋の設 (しつら) えに重きを置いたことが伺えます。
それは「茶が美の世界のことである限りは、美しき器物のみが茶器たるの資格を受ける」(「『禅茶録』を読んで」)という柳の基本理念にも合致し、「美を修することと、『茶』を修することとは別事ではない」(『茶道を想ふ』)という思想に繋がるものだったのです。その後病に臥し、61年に歿した柳。この茶会は柳の志向した茶の貴重な記録でもあります。
本展はその第一回民藝館茶会と58年に催した新撰茶器特別展などを軸に再構成をはかり、くわえて柳が日常使用した器物も展観して、「柳宗悦の茶」を紹介するものです。
茶祖が取り上げた茶器の美。柳はそれを「無事 (ぶじ) の美」「只麼 (しも) の美」と呼び、賞讃しました。その美は自身が『美の法門』で説いた「美醜なき美」と確かな重なりを見せます。「美」と「醜」の相対を超えた美しさは、柳が日本民藝館に蒐めた多くの工芸品にも宿り、「美の標準」として提示されました。無上の法門は今も開かれているのです。