古来より中国では、「文人画」は士大夫と呼ばれた、高い知識や教養をもった人たちが描いた絵のことを言いました。
また、「南画」は中国では「南宗画」とも呼ばれ、職業画家の絵が「北宗画」と位置づけられたのに対して、士大夫たちが描いた絵のことをこう呼んだので、当時の中国では文人画と南画は同じ意味と考えられていました。ところが、江戸時代にこれらの中国絵画がわが国にやってきた時、日本の武士や学者たちだけでなく、商人や職業画家たちの間にも広まり、日本独特のスタイルとして多くの人が描くようになりました。そういう意味では、日本では必ずしも「文人画=南画」とはいえないのでしょう。
明治になって西洋の絵画が日本に入ってきた頃、文人画や南画はあまりにも誰もが自由に描くことから、「これは本当の絵画ではない」と言われ、いったんは日本の美術教育の中から姿を消していくことになります。それでも「文人」としての気持ちや知識を持って絵を描き続けた人や洋画家の中にも南画の考え方を取り入れて絵を描く人が出てくることで、大正から昭和にかけて南画というものがまた見直されていくようになりました。
本展覧会では、田辺市立美術館・熊野古道なかへち美術館のコレクションの中から、文人画と南画の共通点や相違点などにスポットをあてて展覧会を構成、近世文人画の隆盛から衰退、日本南画院を中心とする南画と呼ばれる表現方法への変遷なども紹介します。両館合同で開催、前期・後期に分けて両館の作品を交換、入れ替えます。