高村光太郎と智恵子 ― 明治から昭和にかけて、彫刻や絵画、詩作、文筆活動と、幅広く活躍した夫と、光太郎への愛に生き、自らの創作を試みながらも、精神を病み、道半ばで没したその妻、智恵子。純粋な愛を貫いた二人の記憶は、光太郎が智恵子の没後に編んだ詩集、『智恵子抄』によって、今なお鮮烈な印象を残しています。
明治の著名な木彫家、高村光雲を父にもち、日本の伝統と西洋からの近代思潮の中で自身の芸術を模索しつつあった光太郎にとって、智恵子は精神的支柱ともいえる存在でした。明治の末に出会って以来、二人は類いまれな愛で結ばれますが、智恵子は、宿命的な精神上の素質と、芸術的苦悩、実家の没落などから次第に精神が蝕まれ、療養生活を送るようになります。
智恵子は世を去る2年ほど前から、光太郎が病床に持参した千代紙を日々丹念に切り抜いて、内なる魂が成さしめたとしか言いようのない見事な芸術、「紙絵」千数百枚を無心に創作しました。その繊細な表現と独自の色彩感覚は、全ての人々に深い共感をあたえて、今に至っています。そして光太郎を残し、昭和13年10月に現(うつしよ)世から去りました。
現在、紙絵のオリジナルは、材質の脆弱さのため、公開することは困難となっていますが、光太郎の甥で写真家の高村規(ただし)氏により複製され、鮮やかな色彩で、細部まで鑑賞することが出来るようになりました。本展は、「智恵子抄」と題して、光太郎の彫刻、貴重な詩稿などと、智恵子の残した中から選ばれ再現された紙絵により、二人の純度の高い芸術を回顧するものです。