ID:6443

尾崎紅葉と港区

Venue

港区立港郷土資料館

Minato City Local History Museum

Period

October 28 (Tue), 2003 ~ November 24 (Mon), 2003

Exhibition Outline

尾崎紅葉と港区 オザキコウヨウトミナトク

慶応3年(1867)12月16日、後に近代日本文壇の雄となった尾崎紅葉-本名徳太郎-が、江戸は芝の中門前二丁目25番地で産声を上げました。現在の港区芝大門二丁目7番です。紅葉は、明治5年(1872)生母である庸が亡くなると、母方の実家・荒木家に引き取られ、同家が明治19年に飯田町(現、千代田区)に移り住むまで、芝で暮らしました。紅葉は、結婚を機に牛込横寺町(現、新宿区)に転宅、しかし30歳を過ぎた頃から胃がんを患い、明治36年10月30日、この地で亡くなります。わずか35年9ヶ月の短い生涯でした。
紅葉と港区との関係は深く、筆名「紅葉」「紅葉山人」が旧増上寺山内にあった紅葉山にちなんでいることや、作品の中にしばしば芝界隈が登場するなど、半生を送った芝を、紅葉が実に愛していたことがわかります。飯田町への転居直前に文学結社「硯友社」を立ち上げ、その名を不動のものとした作品の大半を牛込横寺町時代に書上げましたが、文学的資質は芝で養われたものといっても過言ではありません。
平成15年(2003)は、紅葉没後100年に当たります。これを機に、紅葉と港区との関わり合いや、紅葉をめぐる人々との交流、さらには紅葉文学を生み出した当時の芝の様子を探ります。

Organizer
港区教育委員会
Closing Days
11月4日(火)、10日・17日(月)、20日(木)
Admission (tax included)
無料
Exhibition Website
http://www.lib.city.minato.tokyo.jp/muse/j/
Exhibition Inquiries
Tel.03-3452-4966

Access Information

港区立港郷土資料館 ミナトクリツミナトキョウドシリョウカン

Minato City Local History Museum

Address
〒108-0014
港区芝5-28-4 港区立三田図書館4階
Updated Date:2010.11.8
Created Date:2002.9.5