ID:6803
エミール・ガレ(没後100年)たちとニッポン
(前期)~高島北海との出会いからアール・ヌーヴォーへ~/(後期)~光と影と、もうひとつの自然世界~
会場
伊豆ガラスと工芸美術館
IZU GLASS & CRAFT MUSEUM
会期
2004年3月15日(月) ~ 2005年3月15日(火)
展覧会概要
エミール・ガレ(没後100年)たちとニッポン エミール・ガレ(ボツゴ100ネン)タチトニッポン (前期)~高島北海との出会いからアール・ヌーヴォーへ~/(後期)~光と影と、もうひとつの自然世界~
19世紀末、フランスを中心に、欧米で一世を風靡した芸術様式「アール・ヌーヴォー(新しい芸術)」。本年は、その代表的な作家であるエミール・ガレ(1846~1904、フランス)の没後100年にあたります。これを記念して、当館のコレクションの核ともなっているガレ作品をメインとした企画展を開催する運びとなりました。さらに、ガレとつながりをもつ日本人「高島北海(1850~1931)」にも焦点をあて、ジャポニズムとアール・ヌーヴォーの時代を皆様にご紹介していきます。
ガレの生きた時代…今からおよそ150~100年前、欧米では、浮世絵や陶磁器・着物などの日本美術が大変なブームとなり、愛好されていました。これを「ジャポニスム」とよびます。ジャポニスムは、1856年、パリの銅版画家ブラックモンが、日本の陶磁器の包みとして使われていた『北斎漫画』を偶然発見したことからはじまったといわれています。素晴らしいデッサン力と、それまでのヨーロッパにはない表現方法(大胆な構図、陰影のない画面、斬新な色使いなど)にかんどうしたブラックモンは、その優れた芸術性を画家仲間に伝えます。さらに1867年、江戸幕府が初めてパリ万博に公式参加し、日本の文物を展示。それまで鎖国のためにあまり知られていなかった日本文化の魅力に、外国の人々は熱狂したのです。
そんな時、ガレの住むフランスの地方都市ナンシーに、一人の日本人がやってきました。政府の役人として、森林学を学ぶために留学してきた高島北海。長門国(山口県)で医者の家に生まれた彼は、幼い頃より植物に詳しく、父から絵の手ほどきも受けていました。当時ナンシーでは、植物の種苗生産が盛んに行われ、北海の知識と画才は大歓迎されました。ナンシーに滞在したのは1885~1888年の3年間でしたが、学業の傍ら、100点以上の作品を描いて親しい友人に贈ったり、学校や美術館に寄贈し、フランス文部省からオフィシェ・ダカデミー(教育功労勲章)を授与されました。日本の植物、日本の美術、日本の文化…ジャポニスムに湧く異国の地に降り立ち、その才能を惜しみなく発揮した北海は、ナンシーの人気者となり、アール・ヌーヴォー様式の発展にも影響を与えたといわれています。日本ではあまり知られていませんが、この機会に彼の作品にふれ、当時ナンシーの人々が味わった感動を追体験していただければ幸い・・・
- 休催日
- 無休
- 観覧料
- 大人 850円
小中高生 450円 - 展覧会ホームページ
- http://izuglass.co.jp/
- 展覧会問合わせ先
- 0557‐51‐7222
会場情報
伊豆ガラスと工芸美術館 イズガラストコウゲイビジュツカン
IZU GLASS & CRAFT MUSEUM
- 会場住所
-
〒413-0235
伊東市大室高原11-300
登録日:1999年3月31日