ID:52808
山本悍右
会場
タカ・イシイギャラリー フォトグラフィー/フィルム
Taka Ishii Gallery Photography / Film
会期
2017年1月13日(金) - 2月18日(土)
展覧会概要
山本悍右 ヤマモトカンスケ
タカ・イシイギャラリー フォトグラフィー/フィルムは、1月13日(金)から2月18日(土)まで、山本悍右個展を開催いたします。山本は、1930年代初頭から1980年代に渡って、鋭い社会批評の眼と独自の詩的な感性で前衛的な写真表現を探求し、日本におけるシュルレアリスム写真の先駆者として優れた作品を残しました。脱日常的に配されたオブジェの撮影や素材細部の接写、コラージュやフォトモンタージュなど、その手法は多岐に渡り、1950年代以降には演劇的な連続写真や立体・絵画作品も手がけています。タカ・イシイギャラリーにおいては2016年春ニューヨークでの展示に続き2度目の個展となる本展では、立体作品4点、写真作品28点(うち3点組、4点組各1点)の計約32点を展示いたします。
ダダイスムやバウハウス、新即物主義やシュルレアリスムなど西洋の芸術思想・芸術運動の動向が日本に紹介され、その影響のもとに各芸術分野で前衛的な活動が興る中、1930年より詩作を始めた山本は、日本におけるシュルレアリスムの理論的指導者であった山中散生らの発行する詩誌『CINE』などを通じ、モダニズム芸術への関心を深めました。山本が「シュルレアリスムの写真における実践」を目指し写真制作を始めたのは翌31年、新興写真の名のもとに日本における近代的写真表現が成立したのと同時期のことであり、同年、小此木光也らと共に写真集団「獨立寫眞研究會」の創設に携わった若き山本は、新しい写真表現の模索を本格的に開始しました。
ピクトリアルなイメージを排し、写真特有の機械の眼を生かした表現を志向した新興写真は、30年代後半には現実を直視し社会的な表現を追求した「報道写真」とアヴァンギャルドな写真表現を追求した「前衛写真」へと分化します。戦争へ向かう気運の中でプロパガンダ・メディアとして国策へ取り込まれていった前者に対し、後者においては、1937年に滝口修造と山中散生によって招来された「海外超現実主義作品展」をきっかけとして、各地でシュルレアリスムを標榜する前衛写真グループが結成され、活発な活動が展開されました。機関誌『獨立』の創刊(1931年)や「ナゴヤ・フォトアバンガルド」の結成(1939年)など、名古屋が東京・大阪に次ぐ前衛芸術の拠点となる過程において、時代意思の変革を希求し詩的なイメージの写真への定着を試みた山本の制作は、重要な役割を担っていたと言えます。西欧のシュルレアリストの図像学と日本的なモチーフや関心を備えた作品群は、単なる西欧の芸術運動の模倣や翻訳とは一線を画しており、随所に先鋭な美的感覚と卓越した空間構成技術が見て取れます。
やがて戦況の緊迫によって前衛写真運動が瓦解し、また自身も警察の検閲に晒されながらもなお、山本の活動態度は変わることなく、戦後も後藤敬一郎、高田皆義、服部義文と1947年に前衛写真家集団「VIVI」を結成、30年代末より参加していた『VOU』誌においても詩人・写真家として発表を行うなど、いち早く活動を再開しました。1940年末から1960年代にかけて、山本は実験的なカラー写真、フォトグラム、連続写真や立体作品など多くの作品を制作し、その内容はより独創的で複雑なものへと変化していきます。しかしながら、土門拳や木村伊兵衛らを中心とした戦後のリアリズム写真の台頭とその後の展開により、山本らの前衛写真表現は日本の写真史において周縁的な位置に留まることとなりました。晩年に至るまでの精力的な活動にもかかわらず、山本による刊行書籍は1970年に上梓した1冊を数えるのみであり、長らくその作品群は見過ごされてきたものの、2000年代以降国内外にて再評価の試みがなされ、今日その豊かな作品世界への注目が高まっています。
イベント情報
オープニング・レセプション: 1月13日(金) 18:00 - 20:00
会場情報
タカ・イシイギャラリー フォトグラフィー/フィルム タカ・イシイギャラリー フォトグラフィー/フィルム
Taka Ishii Gallery Photography / Film
- 会場住所
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〒106-0032
港区六本木5-17-1 AXISビル 2F - ホームページ
- https://www.takaishiigallery.com/
登録日:2017年1月24日