ID:49299
ignore your perspective 33
ignore your perspective 33
「人見ヶ浦より ―Watching Man from Hitomigaura Bay―」 “Watching Man from Hitomigaura Bay”
大久保薫 / 大西香澄(前期) / 久保ガエタン / 貴志真生也 / 土屋裕央 / 光岡幸一 / 村田啓(後期)
会場
児玉画廊 | 東京
KodamaGallery | Tokyo
会期
2016年3月5日(土)―4月9日(土)
前期:3月5日―3月23日 / 後期:3月24日―4月9日
前期:3月5日―3月23日 / 後期:3月24日―4月9日
展覧会概要
ignore your perspective 33 「人見ヶ浦より ―Watching Man from Hitomigaura Bay―」 「ヒトミガウラヨリ ―Watching Man from Hitomigaura Bay―」
ignore your perspective 33 “Watching Man from Hitomigaura Bay”
児玉画廊では3月5日(土)より4月9日(土)まで、ignore your perspective 33「人見ヶ浦より―Watching Man from Hitomigaura Bay ―」を下記の通り開催する運びとなりました。前期(3月23日まで)・後期(3月24日より)の二期に渡って、大久保薫、大西香澄 (前期)、貴志真生也、久保ガエタン、土屋裕央、光岡幸一、村田啓 (後期) の7名の作家を取り上げます。
児玉画廊のステートメントとして毎回テーマを打ち出し、開催している展覧会 “ignore your perspective”のシリーズですが、今回は殊に「perspective = 視点 / 視線」に拘りを持ってアーティストをラインナップ致しました。テーマは「人を見る」ということ。「人見ヶ浦より」。「人見」とは、舞台で演者が観客の様子を窺い知る為に幕裏に作られた覗き穴のことです。本展を、見る、見られる、見せる、見える、様々な人の様々な視線が無尽に交錯する舞台 (= 浦) に仕立てての、少し情緒的なニュアンスのタイトルとは裏腹に、20代の次世代アーティストが各々に今志向する様々な作品制作上の眼、それは観察であり、考究、思考であり、内省であり、表象化であり、視覚/認識論であり、そこに焦点を当てて露呈させるという目論見でもあります。人見は瞳、浦は裏。意味も見え方も幾重にも変転し、反転するように、視線と視点を交錯させようというアーティストと児玉画廊による企てです。
村田啓 (後期出品)
最新映像作品「Big jam / Bad fish」を上映致します。矢継ぎ早に多様なアレゴリーを孕んだシーンが連鎖的に展開していきます。シーン一つ一つは脈絡ないように思えるものの、少しづつ、何かが何かに引っかかり、記憶が尾を引くように繋がっている。作家の言葉を借りると「イメージのささくれ」という表現は言い得ているように思えます。鵜飼を例にして村田が言うには、鵜が飲み込んだ魚は嘴から入り喉元を抜けて、本来ならばその後腹の中で消化されるべきところ、鵜飼によって締め上げられた喉に留め置かれます。その時魚は一体何を思うのか。鵜の喉元という一つの通過地点に過ぎない部分において、鵜飼によって「空間」に変容されたこの特殊な喉元においての魚の心理状態。この作品は、その魚の巡らす思いのようにとりとめもなく様々に変容し、見る者の受け止め方によってもまた様々に変化していきます。それは村田の作品がアレゴリーに富むというだけではなく、映像の編集/構成のテンポ、色彩とモノクロの交錯、音声と音楽、それらの狡猾な仕掛けによって、あるいは深読みさせ、あるいは意味を見落とすことを誘導しながら観衆との複雑な関係性を楽しんでいるように思えてなりません。
光岡幸一
プロジェクトベースで制作を行っている光岡幸一は、その時々に起こる何か、見つけた何か、その過程にある事象を写真やインスタレーションとしてドキュメントしていくような作品を制作しています。プロジェクトベースの作家であるために、行為そのものこそが主体となりますが、常に持ち歩くカメラでさりげなくしかしシャープに切り取られた光景は、プロジェクトの本意そのものから切り離された副次的なもので、プロジェクト行為者の光岡の第二の目として客観的な別視点を作家自身に与え、そして観客に対しても提示します。今回展示される作品は、様々なプロジェクトで撮影された写真をプリントしたものに、またさらにペイントを上描きすることで更に第三の視点を付与しています。プロジェクトのバックグラウンドにある様々なストーリーやドラマはそこからはあまり読み取ることはできず、しかし、それが故に簡単には汲み切れない得体の知れなさが隠されているように思えます。
土屋裕央
「死」や「眠り」を一つの境界線を越えることとして捉えるコンセプトでペインティングを制作しています。意識が失われる瞬間の景色、死刑場、神話上の世界や生命の創造シーンなど、一貫して死生観を感じさせる内容の作品ですが、このいかにもドラマチックな主題に臨んでいるにも関わらず、深刻さや悲しみ、恐怖に支配されているわけではありません。むしろそういった感情を極力抑えて、客観的に向き合うための実践的アプローチなのです。キャンバスを境界面として、あちら側とこちら側、此岸と彼岸を行き来する、そういったイメージが土屋の中にはあるのかもしれません。画面の奥に描かれているであろう何者かが表層の絵の具の隙間から瞳を覗かせているというような作品や、窓や扉をくぐり抜ける瞬間の人物の絵画なども過去制作しており、画面の深層に描かれたあちら側を観客に意識させる試みが随所に見られます。今回の作品では、明瞭な色彩と構図によって強く画面を切り分け、人体がその境界を超えた途端に違次元に分断されていくような幻視的景色が描かれています。
久保ガエタン
オカルトや陰謀論、トンデモ理論など異端視される思考/思想を独自にリサーチし、哲学や精神分析学、宗教論などを思考の拠り所に、いわゆる「狂気」を何某かの現象として現前せしめるという作品制作を続けています。今回は「人食い」というユングの見た夢として有名な逸話をベースにしています。幼いユングはある日夢を見ます。天井を見つめる大きな目玉が一つついた巨大な肉の塊が玉座に聳え立つのを前に、言い知れぬ不安と恐怖を感じた時不意に母親の声が響き渡ります。「ほら、あれが人食いですよ」。久保は、本来ユング心理学においては男根や非キリスト教的神の象徴と目されるこの夢を、風船のインスタレーションに置き換えてみせます。風船もまた膨らむもの(=ギリシャ語のファルス)として同じく男根的な意味合いを含むと考えることができますが、久保はこの作品においてこの男根の象徴を膨張の末に爆裂させるというショッキングなシチュエーションとして提示します。送風機の吹き出しノズルに風船が(まるで避妊具のように)はめられており、送風機のON/OFFが繰り返されることによって、いつかは逃げ場を失った空気が風船の限界を超えて破裂に至る、という仕組みです。
貴志真生也
彫刻、インスタレーションの作家である貴志としては意外にも思えるユニークな作品「Scrapbook 1」を展示します。貴志がライフワークとして続けているスクラップファイルで、雑誌や広告チラシ、漫画のページ、使い古したシャツ、トランプ、貴志の日常にある雑多な既存のイメージをひたすら名刺フォルダファイルにアーカイブしていくものです。貴志のスクラップは、例えばスナップ写真のような、作家が自分の視線を他者に投げかけていく図式とは対極にあり、作家自身のセレクトによる数多のイメージが一冊に収斂されていることでファイルを見る人にとっては帰納法的に「貴志真生也」像がじんわりと浮き彫りになっていくような図式であることが興味をそそります。期せずして繕わぬ個人が透けて見えてしまうのはスクラップファイルならではの面白さです。
大西香澄(前期出品)
児玉画廊|京都において、個展「サンドイッチ」(2013年)を開催、映像、音、動く人形などが渾然となりつつも、大西香澄という一つのパーソナリティを浮き彫りにしていくような緊迫のインスタレーションを発表しました。今回は大西の最新インスタレーション作品「Have a nice day.」を展示します。導入のドキュメンタリー的なシーンから引き込まれるメインの映像画面とそれに縦走する2つの映像というトリプルチャンネルのビデオインスタレーションです。自己投射や自己相対化を繰り返しながら困難や痛みを抱えながら毎日生きていくということ、それは、辛くも幸せなことだと静かにそして確信を持って語りかけるような作品です。時間を取って始まりから終わりまで是非ご覧下さい。
大久保薫
人体を主な制作モチーフとしてペインティングを制作しています。人体といっても、シルエットや人間の存在について、といった主旨ではなく、あくまで肉としての人体に強い拘りをみせます。西洋の彫刻でいうマッスのような量感という観点とも少し違うように思います。大久保にとって肉としての人体とは、自分の身体感覚に強く根ざしているように思えます。つまり、他者との共通観念として人体はいかなる肉として存在するか、という議論にはならず、ただ彼の内面的な肉体のイメージを吐露し続けるより他はありません。これまでの作品では、膨大な枚数の人体モチーフのドローイングを描いた上で、腕がその人体イメージを覚えてしまうほどの練度を獲得することで、キャンバスに向かった時には澱み無く人体の全てを描き出すに至るという方法、あるいは、長い棒に筆をくくりつけて描くなど、極めて制限のある状態に自らをおいて、「描く」という行為そのものを強く意識せざるを得無い状況から得る身体感覚をキャンバスにどうにか伝達していくという方法などを試行してきました。今回の最新作では、金網や柵の向こう側にいる人物を描写する試みをしており、障害物の奥にあってなお(奥にあるからこそ)目を離しがたい人体の存在感が浮き上がってくるようです。人体に固執するあまりに、むしろ人そのものとは距離を置いてしまうような、強く思いつつも傍観するような大久保の秘めた熱情を鑑賞者に感じさせます。
- 休催日
- 日・月・祝
- 開催時間
- 11時 ~ 19時
- 展覧会ホームページ
- http://www.kodamagallery.com/iyp33/index.html
イベント情報
オープニング: 3月5日(土) 午後6時より
会場情報
児玉画廊 | 東京 コダマガロウ | トウキョウ
KodamaGallery | Tokyo
- 会場住所
-
〒108-0072
港区白金3-1-15 - ホームページ
- http://www.kodamagallery.com/
登録日:2016年3月1日