行き続ける限り私たちのなかに蓄積されていくおびただしい量の「記憶」。しかしひとくちに記憶といっても、そのあり様はさまざまで、忘れ去られる記憶もあれば、終生残り続ける記憶もありますし、個人的な記憶もあれば、集団が共有する記憶もあります。人間以外の動物にも記憶はあるかもしれませんが、これほどまでに記憶の活動を高度に発達させ、また記憶を大切にし、逆に記憶に悩まされる動物は、いうまでもなく、人間をおいて他に存在しません。
ところで、古代ギリシャの伝説には、次のような話があります-コリントスのある娘は、朝になると恋人が去って行くので、その面影をとどめるため壁に映った恋人の横顔の影を炭でなぞりました。そして娘は恋人のいない間、その絵を見て心を慰めたのでした-絵画の起源として語られるこのエピソードはもちろん伝説にすぎませんが、「美術」が「記憶」をとどめるための装置として、古来より機能してきたことをあらためて思いおこさせます。
このたびの展示では、高松市美術館所蔵品のなかから、さまざまな手法で「記憶」をそれ自身のなかに封じ込めた現代美術作品をご紹介します。展示されるのは、自身のシベリア抑留の記憶を題材にした香月泰男「業火」、個人的な記憶の提示でありながら見る者に既視感を抱かせる木村光佑のシルクスクリーン作品、記憶の記録行為としての「日記」を写真と版画を組み合わせた独自の手法により展開した野田哲也の「日記」シリーズ、遠景による独自のスタイルにより非現実的なまでに詩情にみちた世界をつくりあげる野口里佳の写真作品、写真のもっとも原始的な手法であるピンホールを用いて大都会の風景を小さな画面に封じ込める山中信夫の写真作品など、7作家による作品30点。「記憶」をキーワードに日本の戦後現代美術を読み解く本展覧会をぜひお楽しみに。