黒はひと色で世界を表現しうる唯一の色です。黒から紙の白への無限のグラデーションは、モノクロ写真のようにリアルな世界を描くことも出来ますし、水墨画のように思惟に富んだ精神世界を描くこともできます。色はそれぞれある特定の感情を見る者に喚起させます。しかし、色味をのぞいて無彩色の明暗の諧調に世界を置き換えればどうでしょう。そこには客観性が生じ、幅広い表現を得ることが可能となります。この点黒は他の色とは性質を異にする、特殊な色といえましょう。
本展は、黒を用いて、人が視ることの限りを尽くし、そして描き込んだ、凝視の世界をご覧いただくものです。9Hから9Bまでの20種の鉛筆を駆使して人間を描きつづける木下晋、木口木版で、微細なそして暗示にみちた不可思議な世界を展開する日和崎尊夫と小林敬生。この三人の黒線が織りなす細密描写の魔宮は、写実と幻視の両洋にそびえ立ち、みる者に驚嘆と畏怖の念を起こさせます。視覚情報が満ちあふれ、ややもすればみることが惰性に流れがちな現代に、彼らの凝視の世界は視ることは考えることであり、意思を伴うものであることを、強烈に語りかけるのです。
本展を機に、視ることの意味を再確認いただければ幸いです。