朝鮮より渡来し、豊前で上野焼を興した尊楷(上野喜蔵)は、寛永9年(1632)領主の三代細川忠利の肥後転封に一族を率いて従いました。既に家督を譲っていた二代三斎(忠興)は八代城に居を構え、これに伴い八代郡高田に寛永10年に窯をひらいたのが八代焼のはじまりとつたえられます。
高田焼、あるいは二代目以降が窯をひらいた平山の地名から平山焼とも呼ばれる八代焼は代々細川家の御用窯として茶陶などを生み出してきました。薄緑地に白土で象嵌模様を施す八代焼の特徴的な様式は、“都雅なるもの”として江戸時代の文献にも見られ、当時から名陶として認知されていたようです。この展覧会ではそうした象眼模様を施した八代焼の代表的な作品を中心に、17世紀から近代に到るまでの展開を追います。