高岡銅器(鋳物)の歴史は江戸初期の高岡開町とほぼ同時にはじまりましたが、産業として確立するのは明治期以降です。銅器問屋が海外貿易に進出し、国内外の博覧会に出品・受賞を重ね、高岡銅器の名声を高めていきます。その背景には常に国内外各地の好みのデザインや需要に対応する銅器問屋らの不断の努力がありました。
高岡銅器の作品は下図(図案)を基にして作られ、作品細部の技法・材質・色など細かな指示が記された「設計図」です。
下図ははじめ絵師や問屋自らが描いていましたが、国から指導を受けていた時期を経て、明治27年に創設された富山県工芸学校(現県立高岡工芸高校)の教師たちが銅器業界を指導します。のちには富山県工業会高岡部会や、富山県工業試験場などの専門のデザイナーが業者の求めに応じて図案を調製することも行われました。
本展では、高岡銅器産業を支えた銅器問屋である金森家、角羽(かくは)家や銅器製造業者の定塚(じょうづか)家、岡村家などが所蔵していた貴重な下図類を展示・紹介します。