真尾倍弘(ましお・ますひろ)・悦子夫妻は、昭和24(1949)年から13年間、福島県平市(現いわき市平)で暮らしました。
来市して間もなく、倍弘は「現代詩研究会」をつくり、近郊の文学青年たちと真尾夫妻の交友が始まります。また倍弘は、いわき民報社の記者となりますが、1年半ほどで喘息が悪化し退職。その後、結核を併発し、手術を受けました。
昭和26年6月、悦子が発行者となり、二人は郷土雑誌「石城文化」を創刊しますが、これは1号で終刊となります。倍弘の入院・療養中は、悦子が針仕事で生活を支えています。
昭和31年、結核が完治した倍弘は、誰でも自由に発表できる雑誌を出したいという想いから、借金して美濃版手動印刷機を購入、出版社・氾濫社を始めます。昭和36年までに、詩誌「氾濫」全6号、郷土雑誌「月刊いわき」全20号を発行し、地域の人々の著書を刊行しました。
昭和34年に未来社から刊行された悦子著の『たった二人の工場(こうば)から』は、「月刊いわき」の編集後記欄の題名をそのまま書名にしたもので、氾濫社誕生の経緯と二人の生活について書かれています。
本企画展では、氾濫社の活動を中心にいわき地域の文芸運動をたどり、詩人・真尾倍弘、作家・真尾悦子の生涯と作品を紹介します。