亀井至一(かめいしいち)(1843~1905)と弟の竹二郎(たけじろう)(1857頃~1879)は、ともに写真家・画家として知られる横山松三郎(よこやままつさぶろう)のもとで洋画を学び、版画工房・玄々堂(げんげんどう)で活動しました。
竹二郎は、文化財保護の先駆者であった蜷川式胤(にながわのりたね)の支援を受けて東海道の53の宿場を油彩画で描くスケッチ旅行ののち、明治12年23歳といわれる若さで没します。
この油彩画連作は明治24年から25年にかけて石版画として出版されました。元々浮世絵系の版元と関係のあった兄・至一は、その後自ら版元として石版画を出版。いわゆる額絵(がくえ)と呼ばれる大判の石版画が大きく発展した明治半ば、その中心的な作家のひとりとなりました。
こうした亀井兄弟周辺には、横山や蜷川のほかにも玄々堂に出入りした画家や文化人、またその後の印刷業界に関係した人々など、多彩な顔ぶれが並びます。
本展では、亀井兄弟と周辺の人々との関わりに焦点をあて、これまで見落とされがちであった諸相を検証します。