會津八一は教育者として、有恒学舎(現・県立有恒高校)、早稲田中学校、早稲田大学などで教鞭をとり、多くのすぐれた門下生を輩出しました。
そんな教育者・八一が、大正3(1914)年に定めた「学規」は、人としての生き方を端的に示し、現在も人々に生きる希望や勇気を与えてくれる珠玉の言葉といえるでしょう。
一、ふかくこの生を愛すべし
一、かへりみて己を知るべし
一、學藝を以て性を養ふべし
一、日々新面目あるべし
英語教師からスタートした八一ですが、独学で学んだ東洋美術史を早稲田大学で講義し、昭和20(1945)年4月まで多くの学生、研究者を育てました。当館と姉妹館協定を結ぶ早稲田大学會津八一記念博物館は、八一が収集した美術資料などを所蔵し、現在も学生たちに活用されています。
また、戦後、八一は新潟で過ごしていますが、教育への情熱は変わらず、依頼された学校に書「涵之如海 養之如春」を揮毫しています。この言葉は、中国・後漢時代の歴史家・班固(32~92)編『漢書』から引用しています。学問や見識を、自然に染み込むように養い育てることの重要性を説いた文言で、「学規」に通じる言葉といえるでしょう。
本展では、八一の「学規」と教育を紹介するとともに、早稲田大学會津八一記念博物館が所蔵する八一の作品や戦後新潟の教育現場に書き渡した作品資料などを紹介します。