工芸とパッション。この2つの言葉をならべたときに、皆さんの頭のなかではどのような物事がイメージされるでしょうか?たとえばまだ見ぬ色や質感を求めて試行錯誤をくりかえす陶芸家?確かにこれも工芸に典型的なパッション。多種多様な素材と専門的技術の組み合わせによって工芸の造形言語の可能性は無限ですが、それらを高度に体得するほど焦点は鋭く、また仕上がりの完成度にも重点が置かれる傾向があります。一方で、工芸とパッションのならびに違和感を抱く方もいるかもしれません。本来的に機能という要件をそなえる工芸では、さまざまな思惑は造形のうちに収斂され、私たちはただそれを装飾性や風合いのうちに味わうだけでいいように企まれているからです。そのせいか、うっかりすると工芸の鑑賞範囲が限定されることもあります。それはなんとももったいない!
とはいえうっかりしがちなのは工芸の本性ばかりのせいともいえません。この「工芸」が今日のようなジャンル名となったのは明治期に入ってのこと。「美術」という翻訳語の内訳を、近代化の旗印とされた西欧の価値基準に照らし合わせたときにこぼれ落ちた物事を総称するべく、古い書物から引き出してきたものでした。以来社会制度や教育現場において工芸鑑賞の環境はややもするとノイジー。少なくとも早くは平安期にその価値を堪能し、やがて床の間という日常に一種聖別された空間まで設えて見る対象としていたのに。もったいない、と繰り返したくなってしまいます。
けれど近代は、多様性と曖昧さの混濁したこの領海を自覚的に捉えなおして挑む機会をももたらしました。あるときは国の威信をかけて、また用の美と定義したかと思えば、そうではない、用と美なのだといい直したり、伝統や前衛の語を付して「私」との距離を測ってみたり。そうこうするうちに世界に向き合うスタンダードを探っていたはずが、思いがけず「日本」に直面する。工芸と日本、2つの原像が重なり合う事象に刺激を受けた制作が近年増えてきています。
本展では近代エ芸を代表する作家の言葉や活動・出来事から20を抽出し、それぞれの局面におけるパッションをご紹介します。 もしそこから浮かび上がる工芸の軌跡を美術の近代と対照したくなったら、徒歩5分のところにある東京国立近代美術館本館にもどうぞお運びください。なお東京での工芸館での展観は本展が最後となります。