武蔵野美術大学と多摩美術大学の前身である帝国美術学校(以下、帝美)は、一九二九(昭和四)年一〇月に開校し、本年で九〇周年を迎えます。
本展は、日本美術界の振興のため、官立の美術学校とは別の新たな美術教育を希求し、奔走した者たちの人間模様に迫る実資料と、その渦中にいた第一回教授会メンバー全二二名の当時の作品や著作をあわせて展観することで、本学の礎を紹介する初めての試みです。
帝美の創立メンバーの一人である美術史家の金原省吾(きんばらせいご)(一八八八-一九五八)は晩年まで、当時の多彩な交流関係がうかがえる書簡や、開校までの足跡を仔細に綴った日記等を余さず保管していました。これらは当事者である金原の視点を知り得る貴重な一次史料として、本学の大学史研究で調査されてきましたが、その全貌は未だ明らかになっていません。展示では、本学共同研究「金原省吾の教育とその成果について」(研究代表者:本学美学美術史研究室教授 朴亨國)を通して新たに紐解かれたこれら膨大な資料群の中から、帝美誕生の軌跡に迫る資料を抜粋して紹介します。そこには美術学校新設を目指した者たちの苦悩や情熱、複雑にからみ合う人間関係があらわれています。
同時に、当館で所蔵する金原旧蔵の作品や図書資料(金原文庫)を中心に、第一回教授会メンバーであり、日本近代美術史の一端を担った画家、デザイナー、美術史家などとして知られる平福百穂( ひらふくひゃくすい、一八七七-一九三三)、森田恒友(もりたつねとも)(一八八一-一九三三)、杉浦非水(すぎうらひすい)(一八七六-一九六五)、名取堯(なとりたかし)(一八九〇-一九七五)、板垣鷹穂(いたがきたかほ)(一八九四-一九六六)ら二二名の作品や著作を展示します。書簡や日記同様、これら旧蔵作品も金原の多様な人脈を明らかにするものです。彼らのつながりをきっかけとして、「教養を有する美術家養成」という理念のもと集った二二名の同志たちの、当時の作品や研究業績を示す資料を展観することで、帝美が目指した美術教育の本質に触れる機会となるでしょう。