広重と英泉という幕末を代表する二人の絵師が、江戸と京都を結ぶ二大幹線の一つ、中山道を舞台とした揃物を手掛けたのは、天保6~9年(1835-38)のことです。天保2年(1831)に《東都名所》(通称「一幽斎がき東都名所」)で風景画の絵師として知られるようになった広重は、天保4年(1833)に発表した《東海道五拾三次之内》(通称「保永堂版」)の大当たりによって、一躍その名を世に広めました。東海道の次は中山道を。当時の旅行ブームともあいまって、庶民のニーズを満たそうと中山道を描いた揃物の刊行を計画したのは、《東海道五拾三次之内》の版元でもある保永堂です。その後錦樹堂へと版権を移行させながらも、69の宿場と起点の日本橋を含めた計70ヵ所を描いた大作《木曽海道六拾九次之内》が刊行されることとなりました。
今回は上記揃物の他、広重の名を受け継いだ二人の絵師の作品も出陳いたします。「風景画の絵師・広重」が弟子たちによってどのように継承されていったのか。ぜひ皆さま自身の目で、ご堪能いただければと思います。 ※中津川(雨)は「大浮世絵展 歌麿、写楽、北斎、広重、国芳 夢の競演」に貸し出し中のため、本展での出品はありません。予めご了承ください。