余白は空白ではなく、そこにいかなる光景が補完されるべきかが見るものに問われ続ける場として積極的な役割を帯びている。
大阪の信濃橋画廊での個展のおりだったと思う。このときにはもう、街中の光景を映した写真に由来するモチーフと、たっぷりとつくられた余白と、飄逸な線描という、今にもつづく美崎慶一の代表的な様式の作品が壁にかかっていた。鮮やかな緑などの色彩と余白のまぶしい白さから、日差しの強い夏の日の光景を連想しながら在廊中の作家にたずねたのは、そうした光景につかずはなれずの関係で住まう、線描によるモチーフを描く際のスリルについてだった。スリルというのは、写真的、つまり映像的再現的描写とは位相のことなる線描を最後に描き入れるという作画のプロセスを想像したからで、それは紙や絹を支持体とする水墨画と同じようにやり直しのきかない一発勝負の仕事であるはずだった。それまでにつくってきた画面を壊して、そうして絵画を完成させること。そんな風にその時は形容したように記憶している。(つづく)
兵庫県立美術館学芸員 小林公