卒業後、私が頸髄損傷で群大病院に入院して最初の春を迎えたある日、米谷さんがお見舞いに来てくれた。卒業式の日、「牧師になるために、神学校へ行く」と言っていたが、やはり東京の神学校から来てくれたらしかった。
米谷さんは牧師を目指している人らしく、ベッドの横で私のためにお祈りをしてくれた。身体の動かない私は、朝から晩までベッドに仰向けに寝たままだった。そして病室の窓からいつも空を見ていた。「かりん」の詩画はその時のことと、その時から少しずつ変わっていった私の心の内を書いたものである。(エッセイ「空がかわった」より)