20世紀初頭、様々の革新的な美術運動が登場しました。なかでも1907年頃パリに発生し、パブロ・ピカソとジョルジュ・ブラックによって主導されたキュビスムは後世に大きな影響を与えました。絵画によって現実を再現するのではなく、絵画自体が新しい現実となることをめざしたキュビスムは従来の絵画観を一新する可能性を秘めていたからです。1910年代から20年代にかけてキュビスムは日本へと伝えられました。日本にいながらキュビスムを探究した萬鐵五郎、パリに留学していた黒田重太郎、独自にキュビスムを消化した坂田一男、通常キュビスムとは結びつけられない前田寛治や古賀春江の類似した作品はこの運動の広がりを暗示しています。しかしフォーヴィスムやシュルレアリスムといった同じ時代の動向と比べる時、多くの画家はつかのまキュビスムの実験に手を染めた後、そこから足早に立ち去りました。キュビスムは日本の画家によって深められることがなかったのです。ひとたび姿を消したキュビスムの影響は意外な場所で復活します。契機となったのは1951年に東京と大阪で開かれたピカソの展覧会でした。1950年代前半、日本の美術界にピカソは大きな衝撃を与え、その影響は洋画のみならず、日本画から彫刻、工芸といった広いジャンルにまで及びました。多くの作家がキュビスムの手法を取り入れながら、様々な主題の作品を制作しました。この展覧会はキュビスムが二度にわたって、別々の文脈で日本の作家たちに受容されたという仮説に基づいて組み立てられています。世界的にみてもきわめて異例なこのような状況をピカソとブラックの作品、そしてそれらに触発された日本の作家たちの作品、約150によって検証いたします。