「絵を描くためのまっ白い紙を前にすると、自分の中の時間が止まってしまい、イメージが動かなくなる。でも本来、絵を描くための紙ではないダンボールには、時間の流れや風化を感じることができた。だから、そこに自分のイメージを率直に表現することができたし、同時にこの素材自体は自分の求めていた色や質感も備えていた。」
日比野がダンボールによる作品制作の着想を得たのは、初めてヨーロッパ旅行に出かけた大学2年の時で、パリのすり減った石畳や十年前に貼られたような色あせたポスターの色合いに魅せられてのことでした。大学にある売店のゴミ箱から集められたダンボールは、靴、ピアノ、グローブ、時計、ケーキと形を変え、ポップな作品へと生まれ変わっていきました。
日比野のこうしたダンボールによる作品群が一躍脚光を浴びるのは、1982年東京藝術大学大学院1年の時、第3回日本グラフィック展での大賞受賞がきっかけでした。東寺、グラフィック・アートの世界では、画面に数ミリの段差でもあれば、それは立体作品であり、印刷媒体には不適切なものと見なされていました。そこでは純粋な平面作品が求められ、わずかな凹凸も考えられておらず、そうした過去の慣例をくつがえしてしまった日比野の作品は、グラフィック・アートの世界に新風を吹き込みました。
その後の日比野の活動は、平面、立体作品という従来の表現領域の枠を超え、舞台美術、英三、店内装飾、パフォーマンスなどあらゆるアート・シーンに及び、常に変容する社会情勢に敏感に反応しながら独自の世界を展開してきました。
制作活動を開始した1982年以降現在までの作品約280点により、日比野芸術の全容を紹介する本展覧会は、現時点にとどまらず新たな次元へ進化を遂げようとする彼の表現世界を予感させます。展示された作品たちが、それぞれの時代の証人として私たちに語りかけてくるのを聞き取ることができるでしょう。