【常設展示室1】 光の画家-木村忠太
高松市生まれの木村忠太(1917-87)は、1936(昭和11)年に上京すると二科洋画研究所に通い、翌年に初入選した「独立美術協会展」を舞台に活躍しました。戦後は、53(昭和28)年にフランスに渡り、87(昭和62)年パリで逝去するまで、ほとんど帰国することなく、フランスを舞台に自らを「魂の印象派」と称して画業に専心しました。特に、80(昭和55)年パリの現代美術国際フェア(FIAC)での成功により、その名声は日本にも轟(とどろ)きました。また85(昭和60)年フィリップス・コレクション美術館(ワシントン)及びルース・シーゲル画廊(ニューヨーク)の個展が好評を博し、高松市美術館での回顧展を準備していた矢先に訃報が届きました。 89(平成元)年、当館において日本初の大回顧展を開催した後も、国立美術館でも木村の個展が企画巡回されるなど、極東から西洋にやってきた画家木村が、東西の狭間にあって悩みぬき、行き着いた光に対する深淵なる絵画には今なお私たちに多くを問いかけてくれます。今回は、戦前に制作された作品はじめ、渡仏後の木村の画業の変遷や到達した世界観を油彩画約20点とドローイング約10点でご紹介します
【常設展示室2】 彫漆の世界-音丸耕堂
香川の漆芸技法のひとつ「彫漆」とは、器物の表面に漆を幾重にも塗り重ねて暑い層を作り、その上から模様を彫るものです。起源は中国の宋時代にさかのぼりますが、香川を代表する今日の「彫漆」に至るその礎となったのは、江戸時代末期の高松で活躍した讃岐漆芸の祖・玉楮象谷の考究であり、明治時代の末には讃岐漆器と讃岐彫りの店「百花園」で傑出した職人・石井磬堂らの仕事があげられます。今回ご紹介する音丸耕堂(1898-1997)は、磬堂の一番弟子であり、磬堂らの緻密で優れた技術を継承するとともに、豊かな色漆を駆使した大胆な意匠の作品を生み出し1955年には、「彫漆」技法で人間国宝に認定されました。 音丸の最大の特徴は、豊富な色彩にあります。もともと漆の色彩は、朱、黒、黄、緑、褐色の五色に限られていましたが、新素材のレーキ顔料をいち早く音丸は取り入れ、難しい中間色や鮮明な色漆を駆使した作品を制作しました。漆による色彩の表現領域を格段と広げ、その斬新なデザイン感覚により、見る者を魅了し続ける音丸の彫漆世界約20点をお楽しみください。