タイトル等
ignore your perspective 32
「Retro Nostalgia Fantasia」
伊藤隆介 / 糸川ゆりえ / 大谷 透 / 久保ガエタン / 高田冬彦 / 中野 岳 / 中村奈緒子 / 盛井咲良
会場
児玉画廊 | 東京
会期
2015-11-14~2015-12-26
休催日
日・月・祝
開催時間
11時~19時
概要
伊藤隆介、糸川ゆりえ、大谷透、久保ガエタン、高田冬彦、中野岳、中村奈緒子、盛井咲良の8名の作家による、<Nostalgia>の意味する郷愁、追憶、語源的には「帰郷」と「痛み」、そして<Fantasia>の意味する幻想、見えてくるもの(appearance)、あるいは音楽用語としての混成曲、各々共鳴する作品の饗宴をテーマに展示構成を致します。
伊藤隆介は、自作模型と機械仕掛けによる装置と映像機器を組み合わせたインスタレーション作品を中心に、実験映画製作、視覚メディア批評の執筆等幅広く活動しています。インスタレーション作品は「現実的な仮想性」というシリーズで展開され、映像の中におけるスケールの喪失やリアリティの所在についての疑義をユーモアの中から投げかけてきます。模型部分をCCDカメラで撮影し、それをライブ映像としてスクリーンに投影すると、いかにもハンドメイドのハリボテのような小さな模型の風景がまるで実在する風景であるかのようなリアリティを持って映し出されます。それは、カメラレンズの倍率や画角、遠近法などの手法を絶妙に組み合わせることによって「演出」がなされているからこそなのです。かくして、リアリティが虚構によっていくらでも作り出せてしまう、ということを暗に示すことによって、現実と虚像の線引きに揺らぎを作り出し、鑑賞者を幻惑の中に置き去りにしていくのです。今回展示される「映画の発見」(2006年)は映画の原始的仕組みを玩具によって実演してしまう作品です。寝付けない子供が部屋で玩具箱をひっくり返していたら、偶然の組み合わせで映画が生まれた、そんな<Nostalgia>と<Fantasia>を孕んだ名作です。
糸川ゆりえは、早朝に見る夢の中のような虚ろな景色に、まるで影のような人物が儚げに漂っている、というような詩的で静かな情景を描いたペインティングを制作しています。画面を滑るようなストローク、銀色や透けるような色使いによって乱反射する光を巧く取り入れることで絵が蜃気楼か逃げ水のように揺らめき、見る者に所在を与えぬような世界観が強く印象に残ります。<Fantasia>という言葉はギリシャ語由来でPhantasiaと表記されるように、Phantasma(亡霊)、Photograph(写真)、Phenomenon(現象)などと同じく「(目に見えぬものが)現れてくること」というニュアンスを語源に持ちます。糸川の作品を前にすると、画面に描かれたイメージがそこに在ると言うよりも、むしろ不意に訪れ、そこに「現れてくる」かのように感じられます。
大谷透は、工業製品のロゴマークや商品パッケージのデザインなど、既存のイメージをアレンジすることで新たなイメージへと上書きしていくような作品を制作しています。そこには鑑賞者と作品との間に一つの了解が存在します。例えばサンドペーパーの裏面にプリントされている騎馬をデザインしたメーカーロゴを任意に塗りつぶして制作している作品「騎士」のシリーズでは、まず素材がサンドペーパーであるという事、そして騎馬の図案がそのロゴマークであるという事の二点について、鑑賞者が理解した瞬間に初めて、作家がそこに何をイメージしたのか、そして、いかにイメージを発展させていったのかを追う事が出来るのです。大谷の作品は白紙から生まれる事はありません。既存のイメージに上書きをする事はその上書きという事実以上に、そのイメージについて何であるかを知る他者と共有されるはずの記憶や印象などに手を入れていく事を意味します。タバコのパッケージやトランプの図案、おもちゃのケースやお菓子箱に上書きし、改変された作品は、何かしらその物にまつわる人それぞれの記憶や思い出の類までも引き出して、それを面白いように弄り、また新たなイメージへと転化させていくのです。
久保ガエタンは、「狂気」あるいは「オカルト」をキーワードとして、思想、科学、技術、医学など様々な分野におけるいわゆる「異端」を研究する中で独自の解釈に基づいたインスタレーションを制作しています。現時点において「狂気」や「異端」と呼ばれるものは、ある時代においては世の一般常識であった事も少なくなく、例えば錬金術や占いの類であってもそれは、過去においては正当な科学研究あるいは信仰の一部として十全なる社会的役割を果たしていたものです。であるならば、逆に現代社会において「スタンダード」と目される思想、学問の正当性とは何に帰属するのか、あるいは「オカルト」と呼ばれて揶揄されている現象について否定される根拠は何処にあるのか、ミシェル・フーコーが述べるように「狂気」の線引きとは社会によって作り出されるものであり、その判断に対し無自覚である事に警鐘を、というパンク精神が久保の作品のベースに敷かれています。<Nostalgia>とはかつての精神医学では兵士の心の病(故郷を思い塞ぐ)を指し、タルコフスキーの映画『Nostalghia』でも望郷の念と狂人の憂いの言葉が不条理にも交錯していく様子が色濃く描かれていたように、我を忘れるほどに来し方行く末に思い巡らす者は現代においても悲しいかな「狂気」と呼ばれるのだろうかと、久保は問い質しているのかもしれません。
高田冬彦は、自虐的な映像作品、特に性的な露悪も辞さぬ表現、トラウマや劣等感をもおおっぴらに曝け出し、むしろ突き抜けた享楽にまで昇華させていく、一種のカタストロフィーとしての映像表現を続けています。ほとんどの作品で自演し、自室アパートのごく限られた空間を舞台とし、独善的、閉鎖的、排他的、そして欲望の箍が外れたような自らの姿を晒すことで、鑑賞者の奥底にも潜んでいる愚もつかぬような馬鹿げた欲望や欲情をくすぐるのです。高田の児玉画廊での初個展「MY FANTASIA」においても明らかに示されていたように、作品に大げさに表された下品や劣情のもたらす不快感ではなく、むしろ画面の中で怒涛のように繰り広げられるそうした醜悪さや馬鹿げた行為によって、まさに<Fantasia> :メドレー、混成、ごった煮状態の狂乱に鑑賞者を巻き込みながら、清濁も美醜も一切合切を肯定していくのです。
中野岳は人や物との関わりによって発生する事象を映像や写真としてドキュメントに残したり、その行為の派生物としての彫刻/インスタレーションを発表する形でのプロジェクトベースの活動を行っています。児玉画廊での初個展「Somehow the mosaic looks nice.」では「ヤギに神話を聞く」というタイトルのインスタレーションを発表、ギャラリー空間で実際にヤギを持ち込んで共に過ごした数日のドキュメント映像と、ヤギと中野が協働した結果として様々なオブジェが展示されるという驚愕の内容で注目されました。今回の展覧会では「Bubb-Re Car」と題された、乗用車一台に対して独力で戦いを挑む、というコンセプトのもと実行されたプロジェクトです。まず、車の内外を石膏で型取りをし、次にハンマー、プラスマ溶断、グラインダーによっておおよそ10cmほどの細かさに徹底的に破断、最後に石膏型によってFRPで車の骨組みを形成し、それに沿って車の破片をひとつづつ溶接しもとの姿に戻していく、というものです。字面でみれば簡単なことのようにも見えてしまいますが、最初は素手のみによって破壊しようとしたが断念せざるを得なかったというほどに、その壮絶な破壊行為の痕跡と、独力で頑健な鉄の塊にぶつかっていくことの無謀さ無力さなど、その結果残された車の無残な姿を目にした時、その過程にある作家/車の相互的な破壊と再生について感傷が胸を去来します。
中村奈緒子は、インスタレーションを主な制作手段としています。その時々においてテーマは変遷しますが、「手仕事」にまつわることが大まかな共通項としてあり、そして何より複雑な工程であればあるほど良く、またその作業に没頭できることを特に重視しています。例えば七宝焼きのようなただでさえ複雑で熟練を要する技術であっても、気の遠くなるような手間と独自の解釈を加えることによって、七宝焼きで人体彫刻を作ってしまうというような通常では全く考えられない物を実現してしまうのです。今回発表される作品は、様々な前時代的な美術様式(古代ギリシャ様式やビザンティン美術のイコンのような)をベースにしていると思われる作品群によるインスタレーションです。モザイク、プリミティブな壁画、あるいは工芸的な何か、それらが渾然と、しかし整然と配置され妙な調和を生み出し、なにやら呪術/儀式的な気配すら感じさせる中村独自の<Fantasia>が顕在化します。
盛井咲良は、無機質な素材(発泡ウレタン、プラスチック板、ビーズ、シリコンなど)を有機的に造形していくと同時に、非常に精緻な描写のドローイングを一つの作品の中に混在させていくような彫刻とも絵画ともつかぬ形態で発表することが常です。前述のような人工合成物質を自然の美の代理表現として扱っていく行為を「プラニズム」、世界をより高次レベルから観測する能力を獲得するために視覚によって意識を自由に移動させる必要がありそれを「視覚の歩行訓練」と呼ぶ、等々、独自の理論に一貫して基づいており、各作品はその研究成果とでも言うべき位置付けにおいて発表されます。常軌を逸する想像力の源泉、まさに立ち現れる<Fantasia>の噴出として盛井の作品は必見です。
作品は我々傍観者にはまだ見ぬものの産物であり、先導役としてアーティストは存在します。いくら追い縋っても帰らぬ過去のように、あるいは、ありやなしやの幻影のように我々の手には決して届かないその某かを、辛くも捉えて現前せしめる彼らアーティストに惜しむことない敬意を、2015年締めくくりの展覧会として構成致します。
イベント情報
オープニング: 11月14日(土) 午後6時より
ホームページ
http://www.kodamagallery.com/iyp32/index.html
会場住所
〒108-0072
東京都港区白金3-1-15
交通案内
地下鉄白金高輪駅③出口より徒歩10分 広尾駅①出口より徒歩15分
光林寺バス停より徒歩2分
ホームページ
http://www.kodamagallery.com/
東京都港区白金3-1-15
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