谷中安規(たになか やすのり、1897-1946)は1930年代に活躍した版画家です。この時代、東京は関東大震災から復興を遂げモダンで華やかな顔を見せる一方で、社会は戦時体制へと傾斜し、不安と閉塞感が強まっていました。谷中はそのような新東京を糸の切れた風船のようにふわりふわりと放浪しながら、生涯定職も家族ももたず、貧困と孤独のなかで木版画制作に打ち込みました。
谷中の作品には、奈良の長谷寺で過ごした幼少期や真言宗豊山派の中学校に通っていた時期に養われた仏教観、また、青年期に暮らした朝鮮の風景といった土着的なイメージに加え、ビル群や劇場、飛行船や潜水艦、外国映画のワンシーンやロボットなど、1930年代特有のモダンなイメージも登場します。土着とモダン、これら二つの対照的なイメージを混ぜ合わせた表現は実に多元的で謎めいており、不思議な魅力をたたえています。
本展覧会は、夢と現実が織りなす幻想的な谷中の作品約300点を展示し、その表現の変遷や、当時の政治的・社会的動向との関係について再考するものです。谷中の画業を振り返ることは1930年代という時代を見直す試みでもあり、さらには私たちの生きる現代社会をも逆照射してくれることでしょう。