パリ・モンパルナスで生まれたロベール・クートラス(1930-1985)は、苦学しリヨンの美術学校で学んだ。画廊と契約を結び幾つかの個展を開いたが、それはどれも彼の理想とはかけはなれていた。画廊と決別したあとは、ひたすら一人だけの孤独な作業にのめり込むしかなかった。
クートラスは亡くなるまでの長い時間を、タロットカード様に切り抜いたボール紙に描くカルト“carte”の制作に没頭した。炎のなかの聖母子、石積みの城郭、股間から覗く顔、ギロチン場で断罪される人、髪が蛇と化したメデューサ、骸骨の数々、人面をもった蝶や鳥、酒杯を掲げる悪魔、暗号のような文字、渦巻きやハートマークやギザギザなどの不思議な図形、好きだった鳥や猫や兎もある。奇怪だし恐ろしげだがユーモラスなのは、夜の闇のせいだろうか。
沸き起こる物語を夜ごと描いたカルト、それを彼は「僕の夜 Mes Nuits」と呼んでいた。どこで発表するでもない6000枚にも及ぶこのアトリエでの密室の作業は、クートラスの孤独な夢想のなかから生まれた、人生そのものである。部屋に持ち込んだダルマストーブで焼成した手痕ののこる頭部や動物を形つくったテラコッタも、その夜の作業から生まれたものであった。彼の作品は20世紀の産物でありながら、中世ロマネスクを連想させるプリミティブさと聖性とを纏っている。
窓から眺めるパリの街並と窓辺に寄ってくる鳥たち、ダルマストーブと乱雑に置かれた様々な作業道具、机の上の作りかけの作品とガラクタ、壁に何気なく留めた紙片や落書き、そこで紫煙を燻らし思索を巡らす画家。激しい精神の浮沈をみせる人生を続けた彼のアトリエは、貧困と混乱と創造が入り交じり、何人も侵すことのできない美しい場所だった。
展示するほとんどの作品は、パリから運ばれた。それはクートラスが死ぬまで手元に置いて離さなかった分身ともいえる作品である。