テネブリスム(暗闇主義)は、夜や暗闇の場面に自然光や蠟燭などの人工光によってモティーフをほのかに浮かび上がらせる表現方法です。17世紀のバロック期、フランスのラ・トゥールやオランダのレンブラントらが好み、西洋絵画の伝統の中で受け継がれ、やがて近代日本へもたらされます。
日本絵画の歴史において、明暗表現を意識するのは江戸時代からです。司馬江漢や亜欧堂田善は、輸入された西洋の書物などから学んだ陰影法で銅版画に夜景を描き、歌川広重や歌川国芳ら浮世絵師は、月夜や灯りを意識した斬新な構図で風景画を発表しました。明治の始めにかけて、高橋由一や中丸精十郎らは、油彩技術の試行錯誤を繰り返して夜景を描き、また、西洋へ渡った高官たちのもたらした本場の油彩画を画家たちはむさぼるように学び、山本芳翠や本多錦吉郎、松本民次ら、明治洋画界の先駆けとなる画家たちがテネブリスムの感化を受けました。一方、写真の普及で浮世絵は衰退しますが、小森清親の「光線画」と称された風景画が人気を博し、在りし日の江戸情緒と文明開化に湧く明治を巧みに描き出しています。明治後半以降になると、フランスから帰国した黒田清輝が指導にあたった東京美術学校から数多くの近代洋画界を担う画家たちが輩出され、個性的な明暗表現による作品を描き、日本画においては、大正期におけるデカダンス(退廃的)な風潮を象徴して闇夜に浮かび上がる風景や人物が独特な雰囲気で描かれました。以降、昭和にいたっても夜景に魅了される画家たちは後を絶たず、テネブリスムは継承されています。
本展は、二つの文化の間で生まれたかつてない闇と光の世界の全貌を、着想源となったジョルジュ・ド・ラ・トゥールの作品などとも対比させながら明らかにしていくものです。