秋野不矩は、二俣尋常高等小学校(現・浜松市立二俣小学校)在学時に、図画を教える先生からゴッホやゴーギャンなどの印刷図版を見せてもらい、西洋絵画に触れました。絵の道に進み、第二次世界大戦後の1948(昭和23)年に創造美術(現・創画会)の結成に参加してからは、新しい時代にふさわしい表現を模索する中で、西洋近現代絵画にみられるような絵画の造形性を追求しました。その様子が作品の上に、はっきりと認められる「坐す」、「裸童」、「青年立像」などを中心に展示します。また、インドを描いた作品は、「廃墟2.」、「沼」などを展示します。