蝦夷地と呼ばれていた北の地に開拓使が設置されて北海道となってから、まだ150年とたっていません。明治以降、政府による急速な西洋化・近代化の中、アイヌの人々が住民の大部分だった北海道に本州から多くの人々が移り住み、各地で開拓の鍬が降りおろされてきました。
北海道東部に位置し、広大な平野を擁する十勝は、現在日本有数の農業地帯ですが、周囲を山に囲まれた土地の開発には大きな困難が伴いました。現在十勝の中心都市である帯広に市街地の基礎がつくられたのは明治20年代のことです。大正期には、人々の生活にゆとりもでてきて、愛好家による小規模な美術展が開かれるようになり、昭和初期、十勝初の団体公募展平原社が誕生しました。この頃から道展(1925年創立の北海道初全道規模の公募団体展)や全国規模の公募展への入選者も数を増やしていきます。
戦後、札幌から帯広に道展創立会員の能勢眞美が移住してきたことは、十勝美術界の発展に大きく貢献しました。戦争で疎開してきた画家が地元の学校で指導にあたったこと、道東釧路に教育大学ができ、出身者が十勝で教鞭をとるようになったことなども美術活動をさかんにする後押しとなりました。1970年代以降、北海道ではグループ活動が拡大し、作家・地域間の交流が活発になり、十勝でも現代美術を志向する動きが起こります。
本展では、当館コレクションを中心におよそ100年にわたる十勝の美術の流れを紹介します。