本年京都市美術館は大礼記念京都美術館から数えて80年を迎えました。本展では80年の美術館コレクションの歴史を、京都の美術シーンの流れの中で顧みます。
●京都岡崎の美術館は幾つ?
明治以来京都において「美術館」と称された施設は、岡崎町美術館、美術館、美術工芸館、大礼記念京都美術館、そして戦後の京都市美術館と幾つか存在します。しかし今日の「美術館」機能を獲得するには、多くの時間を費やしました。
●一番初めのコレクションはなに?
昭和8年の大礼記念京都美術展開催の後に、美術館「買上げ」として購入された作品が37点、寄贈された作品が5点ありました。また大礼奉祝会から美術館へ、榊原紫峰《獅子》・福田平八郎《菊》・中村大三郎《ピアノ》など6作品が寄贈されています。わずか48点から当館の所蔵の一歩は始まります。
●所蔵作品の展示は何時から?
所蔵品陳列として昭和10年1月10日より2月28日まで「本館所蔵品陳列」が開催されています。50日の開催で2117人の入場者を集めました。さらに同年秋9月10日より30日までの期間も「本館所蔵品陳列」が開催されました。当初は通年的常設展示ではありませんが、こうして日本初の公立美術館「所蔵作品展」は開催されました。
●なぜ京都の美術館が東京の作家作品を収集したのか?
昭和10年の第一回第二部会展覧会でも三点の「買上げ」がありました。注目したいのは京都の作家太田喜二郎《鶏》以外の、東京の藤島武二《神戸湾の朝陽》や中村研一《瀬戸内海》なども「買上げ」ています。その後帝国美術院展や再興日本美術院展を通して、地元作家以外の作品も収集してきました。当時他の公立美術館が作品収集を行っていなかったことや、一地方都市京都の視点で「美術」を見ているのではなく、日本を代表する京都の地で同時代美術を収蔵する意図があったからです。
●なぜ美術館は現代(=同時代)の美術を収集するのか?
京都市美術館は同時代の現代美術を収集し、展示するところから始まりました。後発の美術館が戦後の時点から近代美術の流れを形成せざるを得なかったのに対し、京都の美術館は近代美術を同時代として唯一収集した美術館です。さらに美術館誕生以前の「博覧会」の美術作品も、戦前から収蔵され始めています。
●収蔵作品の秘話?
戦後間もない昭和23年、京展賞第一席受賞の石本正《風景》や八木一夫《金環蝕》などを所蔵しています。しかし本格的な収集が再開されるのは米軍の接収が解除される昭和27年以後です。同年美術館は京都市美術館として新生します。京都市民に慕われたロダンのアダム像の収得は昭和29年でした。なぜアダム像は戦火をくぐり京都市美術館蔵となったのか。作品収集の秘話があります。今回こうした秘話を会場で楽しんでいただけたらと思います。