戦後美術の坩堝であった読売アンデパンダン展が崩壊した1963年、三人の若き前衛芸術家 (高松次郎、赤瀬川原平、中西夏之) によって、ハイレッド・センターは結成されました。安保闘争後、高度経済成長の道を邁進する1960年代の日本において、三人の頭文字の英訳 (Hi-Red Center) を並べただけの公共団体を思わせる名称を掲げて、平穏な「日常」のなかに「芸術」を持ち込むことで、退屈な「日常」を「撹拌」しようと試みました。山手線の車内や有楽町駅などで行われた「山手線事件」を先駆として、HRCの武器 (紐、梱包、洗濯バサミ) を公開した「第5次ミキサー計画」からはじまって、核時代の世界の現実を背景として帝国ホテルで行われた「シェルター計画」や東京オリンピックが開催される銀座の並木通りで行われた「首都圏清掃整理促進運動」などの「直接行動」は、現代社会における「芸術」的な陰謀として実行されました。そして、千円札裁判の「法廷における大博覧会」に至るまで、HRCは「行為」としての「芸術」を展開した代表的なグループとして、アメリカやヨーロッパの美術界から熱い注目を集めています。記念すべき結成50周年に開催する本展では、HRCが発行した印刷物やイベントの記録写真をはじめとして、主要メンバーの同時期の作品も含めて、ハイレッド・センターの「直接行動」の軌跡を紹介します。