飛鳥仏の源流?
「中央は明カニ古式ニシテ鳥仏師のものと毫 (ごう) モ異ナルコトナシ 北魏のものカ」
岡倉覚三[天心]は明治26年(1893)、中国を代表する石窟寺院のひとつ河南・龍門石窟を「発見」します。冒頭の言葉は、岡倉が龍門石窟を発見したその日の日記の記述です。岡倉が目にしたそれは、飛鳥時代の止利仏師・止利派仏像のルーツとしての北魏仏でした。これより120年間「北魏=飛鳥仏の源流」という定説のもと、高校日本史の教科書でもこれを踏襲しています。しかしこの定説は、そろそろ見直すべき時期を迎えているかもしれません。
北魏って?
北魏[ほくぎ、と読みます]は今から1500年以上前の中国南北朝時代 (5-6世紀)、北方遊牧系民族により建国された強大な帝国です。
インドで生まれた仏教は後漢時代 (紀元後1世紀頃) に中国へ伝えられましたが、北魏では国家事業としての寺院の建立と巨大な石窟の造営が行われました。また仏教が広く中国全士に浸透するなかで、地域ごとに特色のある仏像が生み出されるようになります。実は長い中国仏教史において、最も優れた石造仏教彫刻が生み出されたのが北魏でした。
美術館で……
難しい話はともかく、北魏の仏像を一言で説明するならば、キーワードは「優しさ」です。
丸い顔や細い顔、いろんな顔がありますが、微笑んでいたりニッコリしていたり、みんな優しい表情の仏さまばかり。
「北魏」が読めなくても、いつの事か知らなくてもかまいません。ストレスばかりの日常ですが、北魏の仏さまはあなたに、ひとときの癒しと安らぎを与えてくれるはず、です。
それでは、美術館でお会いしましょう。