「鍋島焼」とは、江戸時代に佐賀・鍋島藩主が、藩直轄の窯で焼かせた日本最高の磁器を指します。その誕生の理由は、外様大名であった鍋島藩が、将軍家をはじめとする幕府高官らの歓心をえて自藩の安泰を計るために相応しい献上品・贈呈品として使用するには、当時大変貴重であった中国磁器に代わるものとして極めて美しく魅力的な国産磁器を自藩で製作する必要があったからと推測することが出来ます。藩専用窯の創立期、その後の経緯等は、依然、不鮮明な部分も多く詳細は判りにくいのですが、藩陶器方役副田氏の家系図に「御道具山」の記載があり、窯場は岩谷川内から南川原、大川内山へと移り、大川内山で本格的な藩窯として完成したと考えられます。大川内山に移転した1670年頃からは、藩主が窯場専任の代官を設置し、厳重な統制の下で、周囲の窯とは隔絶された特殊な環境の中、妥協を許さない厳しい管理のもとに陶器製作がなされました。この様に多分に政治的意味合いを含んで誕生したと思われる「鍋島焼」は、土の香りのしない、堅く完璧なまでに美しい光を放つ独特の世界を作り上げていったのです。その作振りをみると、「鍋島焼」は延宝時代(1673~81年)頃から享保時代の後、1750年頃までに、技術的な頂点に達し、盛期を迎えたと思われます。鍋島盛期作品は、派手な赤という絵の具は控えめに、青・緑・黄といった4色を基本に、例外的に紫や金などを加えて描かれ、図柄も、主に植物文様や当時の染織物などをモチーフに純和様の大胆な意匠によって実に簡潔に表現されています。器形も高台を高めにとった、所謂、木盃形とよばれるおめでたい形で、尺・7寸・5寸・3寸を基本とした規格品にして、独自の品格の高さを表現しています。
本展ではこの最高の技術をもって製作された、華やかな盛期作品を中心として、第1展示室・第2展示室においては器形別に展示を行い、また第3展示室においては盛期作品に至るまでの前身的な作品群を「古鍋島」(松ヶ谷手を含む)と分類して、時代的な変遷を一堂にご覧いただけるよう独立展示を行います。300年以上経た時代においても色褪せることのない、モダンでシャープな孤高の美の世界を、是非ご堪能していただければ幸いです。