詩人草野心平が墓碑に「独創傑出の画家ここに眠る」と記した洋画家、朝井閑右衛門の没後30年を機にその画業を回顧します。
朝井は本名を浅井實とし、1901(明治34)年、大阪に生まれました。元々は紀州藩に仕えていた家柄の長男でしたが、家庭の不和などで青年期までは不遇の内にありました。しかし上京して洋画を学び、25歳で二科展に初入選して以後は着実に画家としての地歩を固め、1936(昭和11)年、35歳のときには大作《丘の上》が文部省美術展覧会で文部大臣賞を受賞して脚光をあびます。戦中はたびたび中国に渡り、上海で終戦を迎え、1946(昭和21)年に引き揚げて以降は横須賀市田浦でおよそ20年間、その後鎌倉市由比ガ浜に移って亡くなるまでの17年間、制作を重ねました。
この間、絵の具を厚く塗りこめて、特有のマチエールと色彩の諧調を生み出す表現を確立して評価を高めますが、個展の開催や画集の刊行は一切拒んで孤高を保ち、詩人や学者らと親交して、「文人画家」と称されるようになる独特の姿勢を貫きました。
この朝井の芸術を〈初期作品〉〈水墨画・東洋画題〉〈田浦時代〉〈詩人・学者のポートレート〉〈鎌倉時代〉の五つの章によって振り返ります。