原三溪(はらさんけい)(1868-1939年 本名 原富太郎)は、実業家であり稀代の美術パトロンであり、また益田鈍翁、松永耳庵とともに近代三茶人のひとりにも数えられます。
三溪は1906(明治39)年に、横浜に名園の誉れ高い「三溪園」を造営し市民に無料で開放。また古美術の収集に熱中し、岡倉天心の勧めで、横山大観、下村観山ら新進画家たちを援助。彼らが集った三溪園は文化交流の重要舞台となります。
本展は、西日本で初めて「三溪園」が守り伝えてきた名宝を公開するものです。重要文化財木製多宝塔、豊臣秀吉の遺品、狩野探幽《琴棋書画図》などの障屏画、大観や観山の絵画から三溪自身の書画まで、前期・後期で75件をご紹介します。