宮本三郎(1905-1974)の没後、長年連れ添った文枝夫人は、宮本が遺した次のような言葉を述懐しています。
「絵画は人間をかくことから次第に遠ざかってきている。文学はいまでも人間を書きつづけているんだ。人間との対決は絵画でも永遠なことだ」
人間をかくことから次第に遠ざかってきている―。宮本のこの言葉の背景には、モチーフというより描き方、描く際の身体性を重視した戦後の抽象絵画の存在があったでしょうか。あるいは、美術が次第に観念的になっていき、それ自体を否定、解体する方向へと向かったことに対する危惧があったかもしれません。古来より描かれ続けてきた人間が、絵画のアクチュアルなモチーフから消えようとしていることに対する違和感と反発。宮本の言葉からうかがえるのは、それでも人間を描くことに対する強い自負に違いありません。
石川県に生まれ、幼少時から絵が巧みで評判だった宮本が、画家を目指して上京したのは1922年のこと。以来1974年に東京で亡くなるまで、宮本は時代に翻弄されながらも、徹頭徹尾「人間」を最大の関心事として制作を重ねてきました。当館が所蔵する298点の油彩作品中、最初期の作品《不詳(婦人像)》(1922年)は、10代のころ、郷里で妹を描いたと考えられている作品です。一方、鮮烈な色彩で横たわる裸婦が描かれた絶筆の《假眠》(1974年)を見ると、宮本が晩年に至っても初期からのモチーフを推し進めていたことがわかります。その生涯における様々な画風の展開も、宮本が絵画における人間表現の可能性を一生のテーマとして追及していたからこそでしょう。
本展では、最初期の《不詳(婦人像)》から絶筆《假眠》まで、クロニクル=年代記的に宮本三郎の1920年代から70年代の作品約40点を油彩中心にご紹介します。人間を描くことをやめなかった、宮本三郎の半世紀に及ぶ絵画の軌跡をぜひご覧ください。