芦屋は、鉄道の開通とともに明治時代末頃から住宅地として発展しました。
大正以降、芦屋の地にたくさんの画家たちが居を構えるようになり、そこにアトリエや研究所を開設し、自らの感性や技術を成熟・発展させていくとともに後進の指導にあたりました。
小出楢重は、大正15年に大阪から芦屋へ移住、アトリエを新築します。松井正や山崎隆夫、仲田好江といった画家たちが集ったほか、昭和3年頃からしばらくの間、絵の「稽古」が行われていました。
吉原治良は大正14年頃に大阪から芦屋へ転居、昭和14年に自宅の敷地内にアトリエを新築しました。そこには井上覺造や山本敬輔ら九室会のメンバーたちが集まりました。昭和23年頃からは若い美術家たちが集まるようになり昭和29年に「具体美術協会」が結成されます。
ハナヤ勘兵衛は、昭和4年に写真材料店を芦屋に開店、昭和7年に新築した山小屋風の店舗は芦屋カメラクラブや学生写真連盟などの会合や懇談会、講習会の場として使われました。
その他、中山岩太が芦屋で開いた写真スタジオでは芦屋カメラクラブの撮影会が行われたほか、伊藤継郎がアトリエで研究会やデッサン会、子ども画塾を開いています。
また、赤松麟作、櫻井忠剛らによる「阪神婦人洋画研究所」、吉田喜蔵の「アシヤ洋画研究所」、藤井二郎、山本敬輔の「芦屋美術文化研究所」など、芦屋では多くの画家たちが研究所を開設しました。
本展では、当館の所蔵作品や資料から、芦屋で開設された画塾やアトリエでの活動を辿り、当時の彼らの交流をみながら美術の動向を探ります。