江戸時代、有田を中心とする肥前国(現 佐賀県)で生産されたわが国最初の磁器は、伊万里港から全国各地に積み出されました。この磁器は有田の窯で焼かれたため有田焼とも言いますが、積み出し港の名前をとって伊万里焼と呼ばれています。
江戸時代初頭、朝鮮半島から帰化した陶工が白磁鉱を発見し、初めて磁器窯を作ったと伝えられています。初期の作品は、中国明代の絵模様を取り入れたものが中心でしたが、1640年代には酒井田柿右衛門が絵付けされた白磁を開発し、国内向けの大皿などの色絵陶磁器が生産されるようになりました。
このころから、肥前を治めていた鍋島藩は藩窯をつくり、将軍家や諸大名などへの贈答用高級磁器を生産させるようになり、陶磁器生産は藩の重要産業に成長してゆきました。同じ頃中国では、明王朝が滅亡し清朝が興りました。清は一時外国との交易を禁止したため中国陶磁器を買い付けていたヨーロッパ諸国が日本の陶磁器を買い求めるようになり、伊万里焼がヨーロッパに紹介されると、海外でも好評を博しました。その後、清は外国との交易を再開しましたが、伊万里焼はヨーロッパで確固とした地位を獲得し、輸出を続けました。明治時代、有田の窯元は鍋島藩の庇護がなくなりましたが、海外輸出が好調で大いに潤いました。
今回の展覧会では、鹿野コレクションから伊万里焼の誕生から後期までの多岐にわたる作品を一堂に展示し、伊万里焼の歴史を一望していただきます。