「醜」もまた「美」であるという逆説を是とし、デモーニッシュな創造の絵筆を大胆にふるった日本画家、中村正義(1924~77)が亡くなって33年が経ちます。
「日本画滅亡論」が叫ばれた戦後の日本画壇において、新時代に対応する新しい日本画改革の先頭に立って活躍した中村正義は、日展の若きスターとして「風雲児」と称されましたが、制作は持病の肺病と闘いながらの日々でした。36歳という若さで日展審査員となった正義でしたが、生来の批判精神と日本画壇の因襲への反発心から翌年には日展を脱退。
60年代以降は、革新と前衛の担い手として精力的な創作を展開します。絵具に蛍光塗料を混ぜて描いた《男と女》シリーズ、映画『怪談』のために描いた大作《源平海戦絵巻》などの話題作を発表して名を馳せました。66年には、美術評論家・針生一郎の企画による「これが日本画だ!」展に参加する一方で、仏画や風景画という伝統的な画題においても現代性を追及。また、雑誌の表紙画として著名人をポップ・アート風に描いたかと思えば、人間の「顔」に現われた心の闇を描いた作品群を発表。74年には、社会的な意識の高い前衛画家を結集したグループ「从(ひとひと)会」を組織。しかし、惜しくも1977年に肺癌のため52歳の生涯を閉じました。
本展は、日本画の既成概念をおおきく超越し、病魔と闘いながらも、多彩な話題作や多様な問題作を遺した中村正義の革新的画業のほぼ全貌を紹介するものです。